王瑞雲/OhZuiun/診療所・東(ひがし)診療所/ 東京国立市東2-14-3(自由診療予約制)  
   
 
 
 


2012年6月号  「癌」とつき合って生きる。

子供の頃から病気の問屋で「金喰い虫」として、肩身狭い思いで生きて来たお陰で、何事にも余り動じなくなった。
病気だけでなく、日々の生活でも、「これでもか!」「これでもか!」と踏んづけられていると、益々「生きなくちゃ!」と思う様になる。
肉体も精神もしぶとい位に強いらしい私であるが、自覚的には、「成るようにしか成らないものだ」と諦めが多い。それ位人というのは、 生まれて以来、この世とサヨナラするまで「とても不自由な身」なのだと思う。第一、私の考える「普通の人が普通に生きられる最低 条件」(為生存市中雑学論,2010年10月Wang,Rui-Yun 王 瑞雲,提論)の「医,食,住,教,法」の確立と自立が出来てなければ、 「自由」なんて絵空事にすぎない。その「医」では例へば癌にかかったというより、癌を作ってしまったら、もうそれに集中して、 まして苦痛を伴い、明日の生命が有るのか?という不安があれば「自由」なんて持ちようもない。
「食べる」ことがまともに出来ず(人の身体は食べもので出来ているのに)、又は口に入れて空腹感を満たすことが出来ても、 「その食べものの質」が「人の食べるべきものではない」なら、「自由」なんて話にもならない。
「住む所」となればもっと深刻で、安心,安全,安定のない「住」は、生きてはいてもまともな人としての生活は出来ない。 「教」とは、大人本人が自分を教育することから始まる。「本当の事は何か?」知らなければ、ものごとを正しく理解することは出来ない。
この「教」の手段が言語なので私は若い方々にまず「母国語を古典より現代文まで読みこなしなさい。その上に地球語を1つ2つマスターしてね」 とアドバイスして来た。そして大人が得た教育を子孫、次の世代に伝えるのが伝承なのだと私は理解している。
この「教」を得る時に、正しい情報が入手出来るか?が問題になる。世の中には本当の事を言えば沢山のことがあってゴチャゴチャ 混在していて、「本物」をさがし出すのは困難なわざである。 ともあれ、この「教」という段階でも「自由」になれるのか?疑わしい。
「法」に到っては、とことん「自由」とは縁遠いものだと判る。法とは公けには法律であるが、個人はタッチ出来ない。 赤ん坊は、どこで生まれようか?全く選択の余地はない。どんな親の元で?自分は男に生まれたいのか?女に生まれたいのか?すら選べない。
そして生まれたとたんに、その社会の法律に規制され、その地域のおきてにしばられている。 そして個人的な法とは、「自分はこう生きる!」という一人一人の個人の「自己哲学」であるがそれが「自由に!」とはいかないのが世の常である。
以上で私が「人は自由を持ち得ない」と信じる理由である。従って「自由主義社会」などの言葉を聞くと「えーっ?」と考えてしまうのだ。あくまでも 条件付きなのではないか?全体的な話しはさておき、 さて、「「癌」を作ってしまったらどうしよう?」と相談をよく受ける。「何かに迷ったら原点に戻りなさい!」と私はアドバイスする。まず生活の見直し がかんじんなのだ。
「癌」は一種の信号でもある。一般に「病気」は、その人の生き方、食べ方、ものの考え方に身体は警告を発していると考えるものだと私は思っている。
その行きつくところの最終警告の一ツが「癌」ではないか?
まず@ 睡眠に対して内省すべきである。人は陰陽のバランスで生きているので、それに従う。明るい時間に活動し、暗くなったら休む。
自然の摂理に従えば良いのだ。
理想から言えば、1日24Hを3等分して考えるのが良い。8時間は睡眠とその前後の事、8時間は仕事に集中し、8時間は自分のための生活をする。
原則はどうであっても、人はなかなか思う様に生きられない。特に日本は働き者の社会なので、特に医療者は体をこわしやすい生活をしている。
A 食べものに関しての反省をしてみる必要がある。 
「生命なきものは体内に入れない」は鉄則である。
さて、最近は、日本では癌には2人に1人という位に多いそうだ。新聞でも大々的にテーマとして取り上げられる。
そして何時も思うのだが、どうして「その原因」をとことん内省しないのだろうか?
いつも「検診」を受けましょう!とか保険外医薬品を保険適応にして下さいとか云々。
誰一人「何故これ程までに癌疾患が増えたのだろうか?」と提唱する人は少ない。人は、理由を他人の所為にしたがる。
でもよく考えたら「私が悪かった!」と思える事が日常生活の中で多々ある。確かに人の所為だとしておけば精神的には楽であるが、 内省がないので又同じ誤ちを起こしやすい。それは、歴史の学習でも同じであるし、日々の生活の些細な事がらでも同じである。
ともあれ癌はありきたりで身体が悪いのではなく、癌細胞をのさばらせる「私」の生活の仕方、たべものの選び方が悪いのだと反省出来る。
今や癌はめずらしくない。ありきたりの病だ。年令だって幅広く、子供達がバタバタ倒れてゆき小児科の第一疾患が「癌」「悪性新生物」といわれる位、 おそろしいものである。人体という小宇宙にこんなにも癌、悪性新生物が作り出されて、生命が失われてゆくということは、この天地自然に於いても、 癌細胞(自然に悪さするもの)化するものが有るのではないか?ずっと考えていたら、それは自分を含めての「人の存在全て」と考えられた。
一部の人々は自然を敬い、頭をたれ、つつましやかに生きているが、大都会に住む我々はぜいたくざんまい、明々と夜遅くまでライトをつけ 暖房をつけエネルギーを消費しているのだ。人そのものが癌細胞と思える今、私の身体が癌だと判ったらどうする?やはり私は診断だけは きちんと西洋医にお願いしよう!但し身体に苦しくない程度。治療に到っては日本の伝統的統合医療でと決心している。そして私の両親も そして私のつれ合いも癌病を持っていた。あるいは持っている。苦しくなくって、すーっとねむってしまったらこの上なく上等。大住生である。
私の両親とも実証して下れたので、今のところ、私の治療方針は変わらない。
癌を作ってしまってもあわてない!
いじくりまわされないように、自分で自分の生命を守ってゆこう! そう考えてしまう私である。
「安くて、身近で良い結果」を出せばいい。 ゆきつくところ、日本の伝統的統合医療となるのだ。
日本という国は小さい方だけど、大きい小さいはどうって事ない。むしろ生きやすい。そして世界の鏑矢(としてモハンしやすいのだ。「日本から学んで!」と私は心底願っている



                                    王瑞雲(Wang Rui-Yun)

 

 

 

 
 
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