王瑞雲/OhZuiun/診療所・東(ひがし)診療所/ 東京国立市東2-14-3(自由診療予約制)  
   
 
 
 


2012年3月号  あの日を忘れない!

平成23年3月11日の東日本大震災は、テレビでその映像が流される毎に、天地(天なる父、母なる大地 自然)の力に比べて、その子である人の存在のいかに小さく弱々しいことか!?と思い知らされる。もしもそれだけであれば、もっと復興が早いのに、不幸にして福島原発の事故という人為的災害で人は心癒されぬまま今日に至ってしまった。天地異変だけで多くの犠牲者を出し、心痛めるのに何故更に自分を含めて人々の生活をおびやかす事を人の社会は作り出すのか?と思うと、いかに人は自分が思うほどに利口でないかも知れないと思う。とにかく、父なる天、母なる大地の声を聞いて素直に従った方が安全ではないか?と思ったりする。人が生きるのに足元の大地は、安全で安心、安定してほしい。地球が壊れてしまったら、人は他の全ての生物をも巻き込んで、宇宙のごみとなる以外ないのだ。考えただけで恐ろしい。
私は自分の経験から戦争は国と国の争いでないと思う。「フェイススケール」という言葉があるが、もし一定の年、月日を定めて、その日その時の世界中の人々の表情はどうだったのだろうか?と想像する。そうするとあくまで私の想像にすぎないが、戦争を起こしている両方の社会の中に、ニコニコ顔もあれば泣き顔もあるのではないか?それなら争っているのは、国という単位でない、立場の違いの争いではないか?つまり「ニコニコ顔」と「ベソかく泣き顔」の立場の違い。
私にとって、「その日を忘れない!」という日は、何日もある。むろん、2011年3月11日も私にとって忘れられない日になるだろうけど、1945年3月17日の神戸大空襲や8月15日の終戦の日は多分忘れられない、私にとって生死を分けた「その日」なのである。私は今、私の所へ来たくても来られない子供達(私は自費診療医)に罪ほろぼしのつもりで必死に机に向かうのだけど、一人でも二人でも、私の様なところへ来られなくても済む、そんな社会が作れたら、私の夢は叶えられたことになる。長年の研究の結果、「日本の伝統的統合医療」の医術とその思想は人々が生きてゆくのを手助けしてこれるものと判ったけれども、やはり「医」とか「食」の問題だけが人の生死の問題の全てでない。私は執念深く、しつこい位に私の経験した1945年3月17日の夜の事を子供や孫に話し聞かせたいのだが、これも「あの日を忘れない!」の一ツなのだ。人々が本当に「その日を忘れない!」と自分の事として感じているなら、決して他の人々の社会の悪口も言えないし、武力を使おうなんて考えない。何故なら自分が生きていたいように、世界中の生きている人は「死にたくない!」と考えるだろうし、自分がおなかを空かせると苦しいように、他の人も空腹はつらいと判るのだ。そしてゆきつくところ自分が生きのびたいなら、身のまわりの人々が生きてゆかれるのを助けることだと判る。「あの日を忘れない!」のは地震や津波だけでない。原子力発電所の事故で未だにおびえて移動する人々、私の様にいつか又空から爆弾が降って来るのではないか?と今だに夢の中でうなされる人生。「忘れない日々」は余りにも悲しくて切ない。全ては、これからを生きてゆかれる未来の人々への伝承が大切である。過去に起こった「本当の事」を伝えることで、次の世代の人々は学び、これからの先、未来の生き方を決めてゆけるのだ。テレビで放送される沢山の映像、それらは永久保存にして時々流してほしい。そして1945年3月17日の夜神戸でかろうじて焼き殺されなかった者としての私は、世界中に「戦争体験博物館」の設立を要求する。科学が発達し、シミュレーションの技術もあり、戦争するあの日々がどんなものか?未来へ伝え続けてほしいと願う。
「知らない事ほど悲しい事はない」と母はいつもつぶやいていた。

                                   王瑞雲(Wang Rui-Yun)

 

 

 

 
 
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