王瑞雲/OhZuiun/診療所・東(ひがし)診療所/ 東京国立市東2-14-3(自由診療予約制)
2013年 10-11月号 徳育は効果が上がるように。と祈る
 

私の人生で未だに自分に解答が出せないのは「徳とは何か?」という事である。
徳目がたくさんあって皆「良い言葉だなあ~」と思っても、じゃあ現実には
どういう事?と考えると判らない事がたくさんある。
 
10才か11才の頃泣いてばかりいる私が、ある日学校から帰ったら
いきなり食事をとる板の間に正座させられたのだ。
 
母はすぐ私のことを見破る。
 
「泣かずに生きられる方法判ったかえ?悔しかったらふくしゅうすればよい。
但し力を使ったら失敗するよ。『智と愛と徳』を使って始めて成功するからね」
 
という訳でもう63年も考え続けて「徳」だけ私には納得しきれない。
母が晩年私の所で生活していた時のある日、私は母に聴いた。
 
「昔私が子どもの頃、御母ちゃんは智、愛、徳で復讐しろといってたよね。、、、、
考えてるんだけど徳は何やろう?」
 
母はニヤッと笑ったのだ。もう93才である。
「私は『ジキル博士にならないこと』と自分では思っている」という一言で終わった。
 
昔、文部省から出ていた「心のノート」を丹念に読ませていただいた時がある。
その時感じたのは、ずい分時代がずれている感じだった。
戦前終戦直後なら子ども達の心に届くかもしれない。
 
でも戦後、世の中はめくるめくように毎日すごい早さで変化してゆく中、
「心のノート」に書かれている位のことでは間に合わない。
小児科医として仕事している当時の現場から言って子供達は
もっと社会的にすすんでいるというか、すれている?大人になっている?
と私はいつも思う事だけど、何事も現場が大切である。
 
 
昔有る本でどこの国だったか?その国のトップの語録を読んだことが有る。
確か「現場知らずに発言権は無い!」とのことである。
私は医療に関しては
 
「医師が良い仕事をするに現場へ来て(調べてほしい)1日に何人診察するのが限界か?
そのところから医療システムやその診察料を決めるべきだ!」と
書くのだけれど、子供達の教育に関してはまず現場で
日々不安にしておられる先生方、幼稚園保育園、小学校の
先生方の御意見に耳を傾けるべきではないか?
 
今の子供達は40年前、50年前の子供達と同じではない。
私の知る限り、知能は上がっているけど非常にこわれやすい。
 
「今の子は箱入りの精密機械の如きである」と私は書いてきた。
私の様に雨ざらしでも平気な単純な道具でないと
私はずっとこの40数年~50年近く臨床の現場で感じていた。
 
そして教育は子供を教えるのではなく大人自身が自分を
教えることから始めると効率が良いと思うのである。
子どもは親の鏡、ひいては社会全体の大人の鏡である。
 
いくら子ども時代にいい事教えても成長するほどに
自分で理解してゆくので、その学校や社会で教えられた
のと正反対であればこれも又社会教育になるのだが
「大人は口ばっかし、自分達は反対のことをしている!」と信用を
失う事になる。
 
従って私は「徳育」と聴くと、私達大人で
きちんと子供達に伝える力はあるのだろうか?と心配して
しまうのだ。こんな老婆心もよけいないおせっかいかも。