王瑞雲 ブログ。論文。

「新生存学の構築を! ー医療界の原因不問の問題ー」  王 瑞雲

2021.4.19

何十年と自分が生きる方法ばかり考えてきた私にとって、生活の中で気になって仕方がない事柄が 沢山ある。特に医療の問題は私の人生そのものであるので、細かいけれども「基本が抜けている」と 思うことが多々ある。私はずーっと貧しい生活で育ったので、どうしても大人になっても そこから抜け出せない。恵まれた人達、お金の心配も何もしなくって良い人たち、健康な人達 、申し訳ないけど、私はついてゆけない。特に恵まれて育ったお医者さんたちの「ものの基準」が 私とはずれてしまい、お話ししてもお互いすれ違う。

人は類は類を呼ぶので、もう仕訳けないけど関係したくない人は無視してくれてよいと考えている。
でも世の中は「明日も生きていられる」保証は誰にも無いので、もし不安な方は、 私の経験は少しは参考になると思うので、よかったらお読みください。

さて今日のテーマーは「どうしてだろう?」という疑問を感じることです。 私のこの疑問を持つ癖がついてしまったのは、実に65年前、 昭和20年3月17日、私が4歳の時神戸大空襲で、街の人たち、男女、年齢、国籍名関係なく 生きたまま多くの人たちが焼き殺されていく現場を見てきたからです。

そして昭和20年8月15日お市の山中で2歳前の弟の遺体を焼いていた経験があるからです。
私の人生のすべてのスタートがその時すでに始まっていたのです。
ですから私は17歳以後ずーっとアジア日本の近現代史を独学で学習続けているのです。 医療と医学は別物ですが、私は自分を生かすために東洋医学を中心に学習しました。 ですから医学史の独学で学んできました。今この世の有様は医療界で言えば、 まさに150年前明治初期の頃とそっくりと分かるのです。

さて歴史は人の生活の歴史を束ねたものですが、これからわかることは「人の数ほど歴史もある」と いうことです。昔、私の漢方の師はこんなことを教えてくれました。
「モデル一人をスケッチする画家が5人いると考えて。出来上がった絵は同じものがないよ。
東洋医学の治療は、ありのまま感じるというのが基本だからね」という話でした。
私はその後、漢方薬すら必要ないように、食養学の学習、サプリメントの学習に力を入れたのです が、行きつくところ、日本の昔の人が食べておられた「日本の伝統食」を基本にした 「日本の知恵の研修「日本の伝統統合医療」が最高と経験したのです。

この2021年3月PCR検査でプラスという人が苦しんでおられ、 夜でしたが、診断がついてもう数日もご自宅で苦しんでおられたのです。
保健所に連絡しても「入院になりそうだけど、病院がない。自宅で様子見てください」と言われて いたのです。
私はビールス感染症は人類と共存する微生物と信じていますから それ内の考え方で対処すればよいのです。

医療の原点は「身近で、お金がかからず、結果が良い」方法と私は考えているのですが、 医療産業界から言えばとんでもない考え方のようです。

2019年12月、私はある病院の院長先生に、目前で叱られました。
外見上も立派な院長先生です。「君を許さない、医者の仕事を何もしていない、医者の仕事とは 患者を集め検査して薬を出して、病院を建てることだ!」と教えていただきました。
そして私はすぐその医師の組織からお別れしたのです。

人其れぞでに哲学があります。私は至って簡単で「自分を生かす方法を研究しよう、 その幸せはおすそ分けしよう」なぜなら「幸せを独占したら天罰が下る」からです。 嘘か本当かわかりませんが、とにかく怖がりの私ですから。

さて新コロナの変異株で日本では大騒ぎをしています。
お若い人が増えているとニュースで言われますが、皆さんは一人づつご自分が生活の上で どうして感染したかチェックしておられるでしょうか?
ビールスは空気に漂っています。ビールスだけでありません。
ナノプラスチックはじめ塵、ホコリあらゆるビールスや細菌、カビの胞子や細菌もいっぱいあるのです。 人類が自分で首を絞めているのですが、 個人としたら自分がそれらに負ける「免疫が低下していないか?」
基本は養生、食養生です。私の知る限り、日本の伝統食は素晴らしいですが、日本の野菜は 見た目はきれいだが、生命力は低下していると言われます。
無農薬野菜や余り種が操作されてない、たくましい野菜もありますが、人さまの造ったお料理だけ に頼る人々も多いでしょう。ですから私は<クロロフイル>の補給だけはお勧めしています。 <葉緑素≫のことです。後は玄米菜食肉魚もバランスよく食べてください。

日本の伝統食について学習できるチャンスも多いですから、 大切なことは病気にかかったらその原因を過去に戻って自己点検してほしいことです。 医学会ではまずこれだけ感染者がふえたのは「どうしてなのだ?」考えてほしいのですが、 世界ではどこもそんなことを言う社会はないですね。 私から言えば至って簡単。全ての人たちに普段から「衣食住教法」の確立、自立をさせていく という政治をしていただろうか?世界中の人々が一人づつ「自分が生きる」ことを考えれば よいだけの事と思います。

兎に角物事には何事にも「どうしてそうなるのだろう?。本当は何だろう?」考える癖を持てれば、 新コロナに始まり、これからの微生物とのおつきあいで、慌てる必要はないと思う。 おせっかいで申し訳ない。




〈文責 王 瑞雲〉