王瑞雲 ブログ。論文。

「新生存学の構築を! ーすべての人の生命の始まりを考えて、ご先祖に感謝してほしい。ー」  王 瑞雲 Wang Rui-Yun

2021.4.16

「ウザイ!」と言われるかもしれないのだが、 この化石ばあちゃんには気になって仕方がないことがある。
其れは「家庭教育がどうなってしまったのだろう」という事。 知識は確かに豊富になったし「本物かどうかは別」、 一言いえば何倍の言葉が返ってくる。皆さんは頭が良い。 だから私はできる限り、「書くこと」で返答する。
今日のテーマーは、昔のように「女系家族」になったのか?と思うことしきり、 「男性が弱体化したのか?」と考えたり。確かに、人類だって生物の一種で、 絶滅危惧種かもしれないという人たちもいる。
でも基本は「人そのものの性悪性」でないのか? 第一頭が少し良かったおかげで、人体を離れて相手を倒すための武器を作った。
それが第一の悲劇でないだろうか?

そう考えると古代へさかのぼり、自分の体を離れない武器を持つ他の生物に比べて、 人類ホモサピエンスの進化はすごいものだと感心する。
そして昔からは「オス」というのは「子孫を残すため」の種馬に過ぎなかったのかもしれない。
そして「メス」も子供を産む機械と考えられたかもしれない。
其れが露骨に人間社会でも見られるようになったのはいつの頃からか?
この50-60年の経験の中で、結婚してご家庭を持った方々の何でも相談を引き受けて きて、気になっていたのは、相手〈男女関係なく、結婚相手の〉ご実家に対応する考え方である。
妻は夫の実家に対し、夫は妻の実家に対し、どんな考えでおつきあいをするのだろう?

今から50年前にもなる。私はまだ開院していなかった。
ある時私は大阪に漢方の師の診療室にいた。先生がいきなり聞かれたのだ。
「何人の子どもがいるのか」と聞かれたので、 「ハイ、男の子が二人です」と正直にお話しした。
そうすると先生は「そうかそうか。子どもを持っていない、そのつもりの人生設計だね」とおっしゃったのだ。 若かった私は意味も分からず、きょとんとしてしまったのだ。
すると先生はさらにおっしゃった。
「イヤー、昔から恋愛と結婚は別物だからね。 結婚は必ずしも結婚する本人の為だけではないよ。 子どもを持つというのは生物として次の世代をつくり育てるという意味もある。 だから好きだから結婚してよいというわけでもない。 女が主導権を握ってきている時代だから今は女系家族になりつつあるよ。 日本は変わってきているんだよ」という先生。

私はまだ結婚して間もない頃で、夫と結婚するのに親の話を聞かなかったので、勘当された経験があった。 確かに苦労はあったが、結果的には私は「成功」したと考え関係者の皆さんに感謝している。

私の漢方の師のお話は、後に個人開業して沢山の経験を通して、 本当にびっくりさせられることが多かったのだ。
私は人々のお話を聞いていて、考え込んでしまった。

たとえば「結婚したものの相手のご家族は眼中にない」いう新婚の妻。
どんなに愛していると言っても、その夫のご両親がいなければ、夫はいないはずなのに。。。、
夫の命を生み出し、大人になるまで育てられた、他人でもそのご苦労と思いを 何とお考えなんだろう。
「それであなたは最後まで添え遂げられるだろうか?結婚は自由だから嫌になったら、 別かれれば良いとお考えだろうか?」私は心の中で自問自答していた。
悲しい経験であるが、私の長い付き合いの彼女は一人息子が恋愛で結婚された。
そして二階に息子夫婦,一階に自分たち夫婦が住むように家を新築されたのだが、 とにかくお嫁さんは初めから夫のご両親に、挨拶もしないし、全く存在を認めない。
親がいるという事さえ認めない感じだそうだ。
孫が生まれることになっても、実家へ行ってしまい、 赤ん坊が生まれても生まれたという電話もない。蚊帳の外だと嘆いていた。
孫のためせっせとお金を蓄えて何かとお渡ししても、「ありがとう」のひとことも ない。
夫が一階へ降りてきて両親と話することさえ嫌がり、その後は不機嫌で夫の話しかけにも 返事をしない。私の友人は孫もいるから何のできないけど「親というのは哀しいね」と 嘆いていたのだ。
妻が結婚直後から、なぜそこまで夫の両親を嫌うのか? そんな妻を選んだ息子が問題というかもしれない。

私は第三者だから、聞くことしか出来ないけれども、 ともかく男が弱くなったという感じはある。
50年前に私が漢方の師から聞いていた話、 女性は戦後靴下とともに強くなったと言われていたので、別に驚かないけれども、 逆のケースも聴く。男が妻の実家を認めず、妻の母親との関係を嫌う。
妻は働き、子育てもしてふうふうしていても、妻の実の母親が孫の世話を手伝うことさえ 許さないという。妻は隠れて母親に助けを求める。 男女関係なく私はいろいろなケースで考え込んでしまうのだ。
今は男女関係なく「経済的に自立する」必要はある。 人は何時どうなるかわからない。 イザの時でも子どもを育て自分の生きてゆかねばならないのだ。
かといって両方ともが外で仕事に追われてしまうと子どもは寂しくって仕方がない。 更に大人との共通時間が少なく、家庭教育は受けられない。 戦後家庭が小型化しただけでなく、 家庭内ですら個別化して家族内でもバラバラになってしまった。 つまり心の共有がなくなるのだ。
結果的に伝承されるべき素晴らしい過去からの知恵も、文化も伝承されなくって 過去は断絶消去されてゆく。社会全体では歴史そのものが消えつつあるのだ。 「家族という形」自体不要なものという考えもある時代、 でももし子どもを持つなら、私はきちんと夫婦として、 子どもに安心と安定、安全の感覚を保証してあげてほしいと願ってしまう。
男の子も、女の子もそれぞれに育てるのは簡単でない時代。 家庭という防波堤がなくなり、幼い子どもたちは、家庭の大人を通りこして、 直接社会という外界の荒海に接触してしまうのだ。 子育ての中で受けられる大人の情愛や信頼感を身に付けないまま、 外の他人と接触することの危険性を教えてもらえないまま危険に晒される。 今改めていろいろ相談される中で、結婚するなら相手のご家族ともお互いに 信頼関係を構築してほしいと考えてしまう。

それぞれ違った家庭であるから、考えが合わないというのは当たり前だけれども、 結婚は決して無理することではない。男女関係ない。
「若い二人さえよければ」というのは、 子どもにとっては不幸の始まりでもあると考える。
「結婚」という前に、相手の生命の始まりを考えてほしいと願ってしまう。
それに対する敬意を持って初めて「愛」という言葉が出ると思う。
私は姿見えないけど魂を信じているからだ。
相手のご両親の思いはどうなんだろう?
いつも考えてしまうのだ。




〈文責 王 瑞雲〉