王瑞雲 ブログ。論文。

「新生存学の構築を! ー生き抜くことこそ、愛国心ー」  王 瑞雲

2020.4.25

私が「日本というのは、学びの国」というのは「本当のことが学べる」という経験からです。

私は非常に現実主義で、実利的で、いつも自分が生きてゆくのには、どうかと考えて生きてきました。ですから嫌われても来ました。でも私は注意深く生きていましたので、何とか今も生活しています。
「よく見て、観察して、よく耳をそばだて、よく聴いて、口を閉めなさい」というのは、台湾式の「三猿」です。
ですから、私もあまり何もしないのですが、おせっかいなもので、みんなが困っているのを見ると、ついつい口を出してしまいます。私のような、つらい経験をこれから生きる人に経験してほしくない。と思ってしまうからです。
ただ 私は頭がよくないらしく、なんでも「ああ、いいことを勉強した!」と思ってしまうので、「しぶといゴキブリ、まだ生きとったのか!。みんなとっくに死んどるのに!」と言われても、私は黙るだけでした。
内心で「これしきで死ぬ私と思っとるんか!」と口答えして、それで終わり。次へ進んでゆきます。

これから世界は「新コロナ」よりもっと怖い時代が来るというのが私の感覚です。
「たくさんの犠牲者が出なければよいが。。」と祈る私です。ですから少しでも私が経験して学んできたことを皆さんの生きることに参考にしていただきたいのです。

それはもう昔のことです。と言ってもせいぜい20年足らず前のこと、私は毎日の診察のほかに、小さな会社の会長責任の立場にいました。
その関係で、ある先生と呼ばれる職業の方の事務所へ行かなくてはなりませんでした。事務所に入りましたら、私より10歳は年上と思われる男の方がおられ、私が指示された椅子に座ったとたんに言われたのです。
「王さん、滅私奉公はする必要はありません。僕は元特攻隊員をしていたんだよ。そこにいるとね、人は家に帰りたい、死にたくない!!。ただそれしか考えられなくなる。友達だって一切関係ないさ。あの手この手を考え生き延びることしか考えられなくなる。そして僕は帰ってきた。はっきり言うよ。生きてこそ本当の愛国心だということを。」

私は先生のおっしゃることがわかりませんでした。「滅私奉公」という言葉は、やはり一度聞いたことがあるのですが、普段から私には縁が遠いことばですので、何も考えられないのです。私なんかは、いつも家の中で診察しているだけで、それも自分のためですから、ピーンと理解できませんでした。

それより先生の健康状態はお年のこともあってか、あまりよくなさそうで、そのことに私は気になりました。
手続きが終わって、私は先生にいろいろ、医療上の手当の仕方、サプリメントのアドバイスをしました。
ずーっと後で、会社を片付ける中で分かったことは、私はその先生に、世間相場の10倍のお金を払っていたのです。

当時、私は小さな会社の経営責任者となっていました。まじめに「社員を助けたい」と必死にお金をつぎ込んでしまっていたのですが、結局破産して自分のすべてを失いました。でも気持ちとしてはやるだけやったし、社会にもご迷惑かけなかった満足感で、結局家族を犠牲にするということで、片付きました。その時もしみじみ分かったのですが、私は本当に多くの皆さんのお力で生きてこられたという事実でした。

私が困っているという、うわさがパーッと広がり、私の診察室は大忙しになりました。自費診療でしたが、本当にびっくりするくらいです。
私は新しく来られる人々に聞きました。「どうして来られたの?」その人は答えてくれたのです。
「先生が破産したと聞きました。みんなで集まってどう助けるか話し合ったのです。それで私たちが一回でも行けば、すぐ先生は立ち上がるよ」ということになったそうです。

本当に宝物はお金でないのです。

一人ひとりの善意が私を生かしてくださいました。私はたくさんの恩を「日本という社会」から受け取って、ここまで生き延びました。

後どのくらい生きられるかわかりませんが、できる限りの恩返しはしたいのです。
人は明日はどうなっているかわからないですが、今日できることは精一杯しておこうと思います。
基本は「セロかプラス」の働きをしたい。努力しても役に立つとは限らないかもしれない。

人はできる範囲で精いっぱいまじめに働けば十分と思います。命を捨てる必要はない。

でも最低、他人様を苦しめたり、泣かせたりはしたくない。
そう考えても、人の世は「蓼食う人も好き好ずき」ですから、私がそう信じていても、「とんでもない奴だ!」と考える人がいておかしくないのです。
結局人は自分で信じるようにしか生きられないのだと思います。「天はすべてを見ているよ。」という日本古来の教えを信じる私です。

世界中の人々の生き、去りし魂が地球を取り巻いている。
今後この新コロナで人類はどう対処するのか?
私たちは観察されているのでないか?と感じるのです。


〈文責 王 瑞雲〉